澪標の会提供 日露戦争アーカイブズ

100年前の「今月」

1905年12月

戦争は終わって戦後処理も着々と進んでいる状況は前月に触れた通りである。

1905年最後のこの月,3日には総司令部一行が宇品に到着,前月25日に奉天を発った大山巌総司令官は7日に東京を凱旋した。その翌々日には黒木第一軍司令官が東京に帰還し凱旋,19日には山県有朋が椿山荘に凱旋将軍を招き,園遊会を催してその労をねぎらっている。ちなみに椿山荘は,もともとは上総久留里藩主黒田豊前守の下屋敷であったが明治に入って山県有朋の邸宅となったのである。椿が多くあったところから椿山荘と名付けられた。

20日には宮中において大本営の解散式が挙行され,翌21日にはポーツマス条約反対で東京をはじめ各地で起きた騒乱の責任を取って桂内閣が総辞職,代わって西園寺内閣が発足した。ここにおいて日本の存亡をかけた日露戦争とその後始末をほぼ終え,1905年の幕も閉じることになるのである。



1904年9月から15ヶ月にわたって綴って参りました「100年前の今月」も今月をもって終了させていただきます。ご愛読を感謝いたします。

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