1905年11月
とにかく戦争は終わり,戦後処理も着々と進む。13日にはロシアから捕虜の受入れ船の第一船が横浜に入港し,日露講和条約の批准書が25日に交換された。そして9日に「速やかに凱旋せよ」との勅語が下されたのを受け,大山巌総司令官が奉天から凱旋の途につくのも25日であった。
日本の外交の目線は,これから韓国に強く注がれることになる。この月の2日,伊藤博文が日韓条約締結のために韓国派遣特別大使に任命され,17日に訪韓する。そしてこの日,第二次日韓協約が調印された。ちなみに伊藤博文は初代の韓国統監となった。
韓国の文臣であった閔泳煥が,この新条約に反対して上訴し,それが聞き入れられないことがわかって自決したのは翌月の2日であるが,この条約締結以降,韓国の反日感情はさらに高まっていくのである。
この月のロシアでは,ポーツマス会議のロシア全権として活躍したウィッテが1日,首相に任命され,3日には皇帝がフィンランドの政治的自由を宣言。8日(ロシア暦で10月26日)にはオデッサでユダヤ人の大虐殺が行われている。
ところで,1日には上海と米国との間に海底電線が開通した。バルチック艦隊に乗り組んだ技師のポリトウスキーが、このちょうど1年前の1904年11月7日と12日の日記に,海底電線に艦艇の底を引っ掛けたということを書いているが,海底電線の敷設は,このころの貴重なインフラづくりの一環だったのである。